『ローグ・ワン』『インフェルノ』『博士と彼女のセオリー』のフェリシティ・ジョーンズが、米国最高裁判所の女性判事ルース・ベイダー・ギンズバーグを演じた作品。アメリカ人ならRBGを知らない者はいないといっても過言じゃないくらいの有名人のようだが、日本人の私にはRBG(一つ間違うと光の三原色になる)なる人物の存在すら知らなかった。ただ、逆にそれが幸いして最後まで興味を失うことなく観ることができたような気はするが。
相変わらず邦題の拙さが鼻について仕方ない。原題は“ON THE BASIS OF SEX”=“性別に基づく”。これは、この作品が明らかに性別による差別を真っ向からとらえた作品であることを意味しているのだが、一方の邦題は『ビリーブ』はともかく『未来への大逆転』とはあまりに陳腐すぎる。しかも「信じ続けるることが未来の大逆転につながる」ような、作品本来の意図を損ない誤解を生むようなタイトルを付けるとは、センスがないのは言うまでもないが、配給者の良識をも疑いたくなってしまう。
1950年代に端を発するこのお話、もちろん私はまだ生まれていないのだが、こと差別に関しては後進国だった日本ならともかく、先進国であるアメリカでもなお女性に対する露骨な差別がまだ存在していたことは最大の衝撃だった。ただ、人種差別とは異なり、男性と女性では身体の構造からして違うために、「これは男性の仕事」「これは女性の仕事」という具合に,性別に基づく区分けは大昔から存在していただけに、ルースのような女性が現れない限り性的差別は“差別”と認識されず、「子どもを産むのは女性」と同レベルの事として誰もが認識してきたのだろう。
それだけに、それを“差別”だと捕らえ、しかもその差別を撤廃するために行動を起こした先駆者の苦労は計り知れないものがあったことだろう。その重圧はルースひとりでの小さな身体では到底支えきれるものじゃなく、アーミー・ハマー演じる夫・マーティンのサポートがあってこそで、そういう意味ではマーティンが彼女と同じ法曹界に身を置き、しかも彼女同様に女性に対する差別を撤廃しようという先進的な考え方の持ち主であったことは、周囲が敵ばかりのような環境において非常に幸いだったと言えるだろう。
どうでもいいことだけど、フェリシティとアーミー・ハマーとの身長差がすさまじく、「あれ?フェリシティ・ジョーンズってあんなに背が低かったのか?」と言う疑問が最後まで引っかかっていた。調べてみると、この作品を観る限り150cm前後にしか見えない彼女の身長は160cmで、彼女の背が低いんじゃなく(決して高くもないが)アーミー・ハマーがやたらとデカい(196cm!)ということがわかった。本当にどうでもいいことだけど。