評     価  

 
       
File No. 2980  
       
製作年 / 公開日   2017年 / 2019年04月12日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   ポール・シュレイダー  
       
上 映 時 間   113分  
       
公開時コピー   巨匠ポール・シュレイダーが構想50年の末に完成させた
“いま”を射貫く渾身作!
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   イーサン・ホーク [as トラー牧師]
アマンダ・セイフライド [as メアリー]
セドリック・カイルズ [as ジェファーズ]
ヴィクトリア・ヒル [as エスター]
フィリップ・エッティンガー [as マイケル]
マイケル・ガストン [as バルク] ビル・ホーグ [as エルダー]
 
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あ ら す じ    かつては従軍牧師として活動していたものの、息子をイラク戦争によって亡くし、それがきっかけで妻とも別離したことで軍を離れ、現在はファースト・リフォームド教会という小さな教会で活動しているトラー牧師。彼は病に蝕まれつつある自ら生と信仰を省みるために、一年間日記を書き続けることを決意する。
 彼は信徒であるメアリーから、彼女の夫マイケルの相談に乗ってほしいと頼まれ、翌日夫婦が住んでいる家へと赴く。熱心な環境保護活動家であるマイケルは以前から憂鬱に取り憑かれおり、いくら滅亡の危機を訴えても環境破壊を続ける世界に絶望していた。そして、妊娠したメアリーが望んでいる子どもの出産を「生まれてくる子どもを絶望させたくない」という思いから強く反対していたのだった。トラーはマイケルを説得しようと試みるものの、彼を納得させられる答えを見つけ出すことはできなかった。
 ある日、トラーはマイケルの元へ行く前にアバンダント・ライフ教会へと訪れる。主任牧師であるジェファーズと、間近に控えるファースト・リフォームド教会設立250周年記念式典について打ち合わせを行うためだった。ジェファーズや同じくアバンダント・ライフ教会で活動している女性エスターに病気のことを心配されつつも、トラーはメアリーから自宅に来てほしいと呼び出しを受ける。
 彼が夫婦の家を再訪すると、メアリーは自宅のガレージにトラーを案内する。彼女がトラーに見せた物は、マイケルが彼女に隠れて製作していた、自爆テロを目的とした、小型爆弾が全面に取り付けられているベストだった。トラーは対処に悩み、一旦ベストを持ち帰るのだった。
 ところが翌朝、トラーがマイケルに呼び出されてある公園へと向かうと、そこにはショットガンで頭を撃ち抜いて自殺したマイケルの亡骸があった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    私が苦手とするジャンルの作品なんだろうなぁ、とうすうす感じてはいたものの、アマンダ・セイフライドが出演しているために劇場鑑賞を選択してしまった。さらには原題を見て、“最初にリフォームされた”って一体何のこっちゃ?と混乱させられたが、それは本編を観れば教会の名前だとすぐわかるからいいとして、邦題の『魂のゆくえ』ってのには異論アリアリだ。
 そもそも、“神”に関連したテーマの作品には、私は否定的で・・・・・と言うより、“神”自体を断固として否定する立場にいる私としては、この作品の主人公、イーサン・ホーク演じるトラー牧師の言動には賛同できない部分が大きいし、それ以前に賛同どころか意味不明ですらあることも。トラーは身体に軽くはないだろう病を抱えながら、悪影響を与える酒を断つことをしない。それは、果たして神の意志に沿った行為なのか?もちろん答えが「否」であることは、神の存在などは微塵も信じない私にとっても明らかだ。
 それはともかく、そんなトラーに悩みを相談するのが、アマンダ・セイフライド演じるメアリーで、彼女の夫・マイケルは人間による地球の環境破壊を憂えて、こんな世の中に生まれてくる子どもが可哀想だと真剣に悩んでいるというのだ。この時点で、トラーはマイケルが神など信じていない現実主義者であること、そして現状を改善することなどできるはずがないと、既に諦めの境地に達してしまっていることに気づくべきだろう。そして、マイケルの前には自分は全くの無力であることを予め悟るべきだろう。神を信じていない者に神の教えやその言葉をもって説得しようとも、それは相手の心の琴線には絶対に触れることはない。もしかしたら、真摯にトラーの言葉を受け止めているふりを装って、マイケルは心の中では必死に髪を解くトラーを嘲笑していたかも知れない。
 だから、自爆用ベストを用意していたマイケルは、おそらく自らの死によって大勢の人間に何かを訴えたかったのだろうが、その矛先がトラーひとりに転じてしまうのだ。「お前の無意味な説教のために、ひとりの人間の命が失われるのだ」、と。そして、それがどれほどトラーの心に痛手を与えるのか、マイケルが知らないはずはない。
 さらには、自らの教会が環境破壊に与する企業からの援助を受けているという事実に、完全に打ちのめされてしまうトラー。彼が選択した道は、奇しくもマイケルと同じ自爆行為で、肉体的にも病に冒されて精神的にも追い込まれてしまったテラーには、衆人環視の前で命を絶つことしか選択肢は残されていなかったのだ。そんな結末は、教会の記念式典に参加したいというメアリーを固辞したことからもうかがわれる。彼女を自爆の巻き添えにしたくなかったのか、あるいは無力な自らの最期を彼女にだけは見られたくなかったのか。おそらくは、後者の気持ちが勝っていたと思われる。
 だから、式典の当日にメアリーが訪れたのを知ったトラーは狼狽したのだ。そして、この期に及んでもまだ神を捨て切れていなかったのだろう、自殺という神の教えに反する行為を選択しようとした自ら罰するのだ。だが、ラストシーンでは神の存在などもはや関係なく、ひとりの人間として、ひとりの男性としてのトラーが初めて垣間見られた。