2014年に公開された『マレフィセント』の続編となる作品。マレフィセントの頬骨がさらに強調されている気がして、まるで『ツルモク独身寮』の白鳥沢レイ子(知らない方は、別に調べるほどのこともないので、読み流してください)のように人間離れしたルックスに見える。一方のオーロラ姫を演じるエル・ファニングは、俗世間に汚されていない無垢な王女という役柄がハマリ役だ。そして、その辺りが同世代の女優であるシアーシャ・ローナンに大きく差を付ける要因だろう。いずれも演技は下手じゃないがその割に出演作で「これは」という傑作がないという、私に言わせれば似通った状況に置かれている女優にもかかわらず、エル・ファニングは嫌いじゃないのに対して、シアーシャ・ローナンはどうしても好きになれないという原因もまさにそこにあるのだ。
ポスター等でミシェル・ファイファーが出演することを知った時から、どうせまた悪巧みの張本人を演じるんだろう、と短絡的に思ってしまったのは当然の成り行きだろう。ところが、一方では副題に“MISTRESS OF EVIL”なんてあることに加えて、予告編で何度も「真実の愛に目覚めたはずだった・・・・・」なんて聞かされて、「愛に目覚めたはずだったが、再び冷酷無比なヴィランに戻ってしまうのか」とも受け取れて、一体どんな展開になるのか、誰が悪役なのかわからないままに劇場に臨んだ。
結論を言うとネタバレになるが、やはり最初の直感通りミシェル・ファイファーが悪役で(最近は完全に悪役が定着してしまっていて、あまりに鉄板過ぎるような気もするけど)、それに対するのがマレフィセントという構図だった。そのため、ミシェル・ファイファー演じるイングリス王妃の「悪」(これは「悪」と言い切ってしまっても差し支えないだろう) VS アンジェリーナ・ジョリー演じるマレフィセントの「善」(こちらは単純に「善」なんて言うのも抵抗があるけど)という、良く言えば単純明快で分かり易い、悪く言えばどこにでもありそうな勧善懲悪のアクション作品になってしまっているのは少し残念。
一旦は誤解とは言え最愛のオーロラに裏切られた形となったマレフィセントは失望感、もしかしたら絶望感さえ感じていたかもしれないが、残念ながらその無表情さのために悲壮感を感じ取ることはできない。まぁ、そこはあくまで孤高のヴィラン・マレフィセントだから、変に落ち込んだり悲壮感に浸ったりすると逆に不自然ではあるけど。ダーク・フィアの仲間である、キウェテル・イジョフォー演じるコナルの深謀遠慮さ、対して短絡的・好戦的なエド・スクラインボーラと、これもまた適役と言える。カラスのディアヴァルを演じたサム・ライリーがなかなかいい味を出していて好感が持てた。