評     価  

 
       
File No. 3100  
       
製作年 / 公開日   2019年 / 2019年10月18日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   瀬々 敬久  
       
上 映 時 間   129分  
       
公開時コピー  
ひとすじの光を君にみた
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   綾野 剛 [as 中村豪士]
杉咲 花 [as 湯川紡]
佐藤 浩市 [as 田中善次郎]
村上 虹郎 [as 野上広呂]
片岡 礼子 [as 黒塚久子]
黒沢 あすか [as 中村洋子]
石橋 静河 [as 藤木朝子]
根岸 季衣 [as 田中紀子]
柄本 明 [as 藤木五郎]
 
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あ ら す じ    青田が広がるとある地方都市。屋台や骨董市で賑わう夏祭りの日、一人の青年・中村豪士が慌てふためきながら助けを求めてきた。偽ブランド品を売る母親の洋子が男に恫喝されていたのだ。仲裁をした藤木五郎は、友人もおらずに母の手伝いをする豪士に同情し、職を紹介する約束を交わすが、青田から山間部へと別れるY字路で五郎の孫娘・愛華が忽然と姿を消し、その約束は果たされることは無かった。必死の捜索空しく、愛華の行方は知れぬまま。愛華の親友で、Y字路で別れる直前まで一緒にいた湯川紡は罪悪感を抱えながら成長する。
 12年後のある夜。紡は後方から迫る車に動揺して転倒し、慌てて運転席から飛び出してきた豪士に助けられた。豪士は、笛が破損したお詫びにと、新しい笛を弁償する。彼の優しさに触れた紡は心を開き、2人は互いの不遇に共感しあっていくが、心を乱す者もいた。一人は紡に想いを寄せる幼馴染の野上広呂、もう一人は愛華の祖父・五郎だった。そして夏祭りの日、再び事件が起きる。12年前と同じようにY字路で少女が消息を絶ったのだ。
 住民の疑念は一気に豪士に浴びせられ、追い詰められた豪士は街へと逃れるが・・・・・。
 その惨事を目撃していた田中善次郎は、Y字路に続く集落で亡き妻を想いながら、愛犬レオと穏やかに暮らしていた。しかし、養蜂での村おこしの計画がこじれ、村人から拒絶され孤立を深めていく。次第に正気は失われ、想像もつかなかった事件が起こる。
 Y字路から起こった二つの事件、容疑者の青年、傷ついた少女、追い込まれる男。3人の運命の結末は・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    『悪人』や『怒り』の原作者・吉田修一の短編集『犯罪小説集』に収められた5作のうち、『青田Y字路』『万屋善治郎』をつなぎ合わせて1本のストーリーにまとめた作品・・・・・なんて予備知識は当然持たずに観たのだが、どうしても一つの作品としてのまとまりを欠いていた気がしてならなかった理由がそのためだと判明。綾野剛が演じる中村豪士、そして佐藤浩市が演じる田中善次郎という2人の主人公が、いずれも死んでしまうという重〜い苛まれるような結果は、ある程度予想していたとは言え、やはり「心地良く」とはほど遠い作品だった。
 作品の舞台となるのは、都会から離れた山間の寂れた町で、その景観は美しい。だが、そんな風光明媚さとは裏腹に、そこに暮らす人々の人間関係は「美しい」という単語からはほど遠い。誰もが顔見知りという閉鎖的な人間関係、そして一旦そこから逸脱して誰かの反感を買えば、その反感はあっという間に全員に伝播してしまう。だから、人々は誰もが表面上の平穏な人間関係に波風を立てることを極端に嫌い、仮面を着けて日々を生きている。一見彼らは仲睦まじく暮らしているようで、その実裏ではそれぞれが自分の思惑を隠し、上辺の体裁を繕って仮面生活を送っているのだ。もしもその仮面が剥がされれば、たちまち周囲から拒絶されて村八分状態に追い込まれてしまう。その意味では、人間関係が希薄と言われる都会の方が、中村豪士や田中善治郎のような人間にとってはどれだけ暮らしやすいことだろうか。
 作品のタイトル『楽園』は、瀬々敬久監督による命名らしいが、その『楽園』とは何を意味するのか。少なくとも、この作品の舞台となった町が楽園だというわけではない、というのはわかる。舞台となった町を見て、「ここはパラダイスだ」なんて思う輩はおそらく一人もいないだろう。だとすれば、2人の主人公を自殺に追い込んだ町に対して、アイロニーとしての『楽園』なのか。おそらくは100人が観れば作品の解釈も100通りあるだろう。